高校プロコン三連覇!宮城県工業・情報研究部の強さの秘密とは(その2)

高校プロコンの競技課題がCHaserになった2008年に初挑戦で準優勝を飾った宮城県工業の情報研究部。その勢いのままに、翌年2009年から2011年まで三連覇を達成した。CHaserシリーズは過去5回開催されているが、この記録は当分破られそうにない。今では高校プロコンだけではなく様々なコンテストに挑戦している宮城県工業・情報研究部だが、その強さの陰には生徒たちにつねに寄り添い、叱咤激励し、サポートしてきた平子英樹先生、加藤健一先生(共に情報技術科 教諭)、両顧問の存在が大きい。こうした取材では決して生徒より前には出たがらない2人だが、三連覇に際して特にご登場を願って情報技術教育、部活動指導に関するヒントを提示頂いた。

上記の写真は2011年に都内秋葉原で開催された第32回U-20プロコン最終審査会でのひとコマ。左より、平子英樹先生、経済産業大臣賞を受賞した高橋翔哉さん(受賞当時3年生)、加藤健一先生。こうしたコンテストは当然土日などの休日開催となるが、しっかりとしたサポート体制をとるべく、同行している。

2011年に開催された第32回高校プロコンでのカット。ここでも平子先生、加藤先生の両顧問のサポートを見ることができる
2011年に開催された第32回高校プロコンでのカット。ここでも平子先生、加藤先生の両顧問のサポートを見ることができる

3.11の震災での苦労を口せず
まず最初に、この取材の8か月前には、あの3.11の大震災があったことを明記したい。その爪痕は仙台市内にも、また、彼らが学ぶ校舎にも残っていた。立ち入り禁止の場所も校内にあるのだ。我々が想像する以上の大きな影響が彼らに降りかかっていたことは明らかで、実際に被災地では授業は当然のこと、部活動もしばらくは休止状態だったのだ。情報研究部の顧問である平子英樹先生(情報技術科教諭)に部活動への震災が与えた影響について尋ねてみた。しかし、具体的なことは先生も生徒もあまり多くを語りたがらない。インタビューではこちらから話を向けなければ震災での苦労話などは出てこなかった。しかし、東北に住んでいる人たちは例外なく、親類、知人、友人などが何らかの形で被災し、大変な影響を受けていたのは間違いない。決して人ごとではないことが学校内を歩いていてもよくわかる。

校舎内の壁などはひび割れが多く、写真のような建物同士の大きな隙間などがある。震災当日は入学試験後の考課中ということもあり、仙台市内の公立高校は休みだったとのこと。教室内では重さ1トンもあるヒーターが倒れ、実際に生徒がいたら下敷きになっていたかもしれなかったという
校舎内の壁などはひび割れが多く、写真のような建物同士の大きな隙間などがある。震災当日は入学試験後の考課中ということもあり、仙台市内の公立高校は休みだったとのこと。教室内では重さ1トンもあるヒーターが倒れ、実際に生徒がいたら下敷きになっていたかもしれなかったという

 

困難な状況だからこそ、三連覇を狙おう!
活動が停止していたことを考えると、他の学校よりも、スタート時期が遅れ、部の方針、さらに実際にプログラミングにかける時間なども減っていたことは想像に難くない。実際にはそんなことを考える気持ち的な余裕すらなかったかもしれない。それほどまでに震災の影響は大きかったのは報道などで見る通りだ。実際に髙橋部長が話した言葉は胸に突き刺さった。「このまま部活動をやっていてもいいのか・・・しばらくは気持ちが上がってきませんでした」と震災後のつらい想いを吐露してくれた。

2011年年末当時、立ち入り禁止のトイレなどもあった。修繕の業者も人手が足りず、復興が進まない現状がある。これは仙台市内だけでなく、東北全体の問題でもある
2011年年末当時、立ち入り禁止のトイレなどもあった。修繕の業者も人手が足りず、復興が進まない現状がある。これは仙台市内だけでなく、東北全体の問題でもある

 

目標は絶対に変えずに、ブレない姿勢を貫く

平子先生によると、情報研究部の活動再開に際しては「震災を理由にしないで、できることをしっかりやっていこう」と部員を激励したという。部長をはじめ、部員たちは日常でもまだつらい思いをしていることを平子先生はわかっていた。しかし、高校プロコンに関しては、あえて部員たちの前でこう言ったという。「困難な状況だからこそ、むしろ三連覇を狙っていこう!」と、平子先生は自分自身にも言い聞かせるように厳しく、高い目標を打ち立てたという。実際には髙橋部長のように部員たちのモチベーションの低下が危惧されたが、「目標は絶対に変えずに、ブレない姿勢」を貫いたと加藤健一先生(情報技術科教諭)は補足した。

夏頃には本来の元気が戻った
また、活動再開に際しては、「夜遅くまでの活動する、という伝統については、震災直後ということもあり、なるべく自粛しました。今でもそうですが、夕方や夜にも結構大きな余震が起こっていますからね」と、決して楽観していない様子であった。そうした先生方の温かくも強力な支援によって次第にエンジンがかかってきた情報研究部のメンバーだったが、やはり「ブレインマップ」の効果が大きかったようだ。活動再開は遅れたが、同時に今年の目標も決めなければならない。「ブレインマップ」の良さは生徒たちに自ら考えさせ、書かせる点だ。「三連覇ことも意識させていますが、やはり良い結果を求める場合、『良い準備』というのが重要になってきます」と平子先生は言葉に力をこめた。さらに「努力する集団であれ、とつねに話しているんです。目標を達成するためにはつねに良い準備をして、努力を怠らない、ここが重要だと指導しています」と続けた。そうした指導の甲斐もあり、「徐々にロボット班も世界を目指してエンジンがかかってきましたし、夏休みに入ると、朝は8時半からきっちりと始まって、結局夜も遅くまで・・・でも、部全体が活気を取り戻しているのがわかりました」と平子先生は目を細める。また、夜が遅くなると、先生たちがカップラーメンなどをご馳走することもしばしばあったという。

ブレインマップの前で解説する平子英樹先生。部室に貼られたブレインマップは模造紙2枚分にもなり、人の背丈ほどもあり、これが情報研究部の名物でもある
ブレインマップの前で解説する平子英樹先生。部室に貼られたブレインマップは模造紙2枚分にもなり、人の背丈ほどもあり、これが情報研究部の名物でもある
このブレインマップは2012年に向けての新しいもの。模造紙の真ん中からアイデアや目標にしたがって情報研究部全員で意見を出し合い、無限に広がっていく・・・よく見ると、様々なコンテスト名の他、どうすれば勝てるのか、具体的な課題やキーワードも確認できる。また、色もカラフルで、様々な色で書いていくことで、見る側も刺激を受ける
このブレインマップは2012年に向けての新しいもの。模造紙の真ん中からアイデアや目標にしたがって情報研究部全員で意見を出し合い、無限に広がっていく・・・よく見ると、様々なコンテスト名の他、どうすれば勝てるのか、具体的な課題やキーワードも確認できる。また、色もカラフルで、様々な色で書いていくことで、見る側も刺激を受ける

2011年当時の情報研究部メンバー。体育会系文化部という異名を持つ。実にさわやかで礼儀正しい部員たちである
2011年当時の情報研究部メンバー。体育会系文化部という異名を持つ。実にさわやかで礼儀正しい部員たちである

 

手取り足取りの指導はしない
「私たち二人は技術的なことは、ああしろ、こうしろ、というようにあまり直接指導はしないんです。伝統の力を発揮できるようにサポートしているんです」と語るのは加藤先生。さらに「努力する集団でなければ、闘いの場で勝つことは難しいですし、そもそもその闘いの場に上がれるのか、ということをつねに考えさせています。そのために良い準備と努力が必要なのです」と解説した。また、平子先生と加藤先生は情報研究部の活動を通じてメンバーに伝えたいことがあるという。

それは、情報研究部で努力していること、頑張っていることは、いずれ社会に出ても自分たちはやれるんだ!という自信につながっているんだ、という確信を持って指導しているのそうだ。こうして文章にすると先生方は指導についてつねに自信満々のように聞こえるかもしれないが、実際には「予選もドキドキしていましたし、どう転ぶかわかりません」と加藤先生が笑って答えた。確かに予選はプログラムを提出するだけで目の前では対戦の様子を見ることができない。平子先生は「生きた心地がしませんでした」と当時を振り返った。予選一位通過した時には生徒と共に心から喜んだというが、勝負はここからが本番だった。その後、合計2000試合以上の模擬戦をこなし、直前までバグ修正を行った部員たちを前に平子先生は「やるべきことは全てやった。これで完成度は高まった。あとは結果を待つだけだ。勝負は運もあるから、あとは全力で決勝を迎えよう」と静かに話したという。結果は見事に三連覇を達成。ちょっと気が早いが、四連覇についてコメントを求めると、「伝統の力が本当にわかるのは来年、2012年でしょうね」と加藤先生が厳しい顔になった。隣にいた平子先生は静かに頷いた。結果はどうあれ、毎年優勝に向けて挑戦するのはどこの学校も同じ。すでに来年の闘いは始まっているのだと感じた一瞬であった。

情報技術部で努力していることは社会でも通用すると確信して指導にあたる平子英樹先生(情報技術科)
情報技術部で努力していることは社会でも通用すると確信して指導にあたる平子英樹先生(情報技術科)
手取り足取りの指導はしない、また、直接的な技術的指導も極力せずに自ら考えさせるという方針を平子先生と共に貫く加藤健一先生
手取り足取りの指導はしない、また、直接的な技術的指導も極力せずに自ら考えさせるという方針を平子先生と共に貫く加藤健一先生

宮城県工業外観。校舎裏には広瀬川が流れている。生徒たちは誰もが礼儀正しく、取材に訪れた私たちに元気よく挨拶してくれる
宮城県工業外観。校舎裏には広瀬川が流れている。生徒たちは誰もが礼儀正しく、取材に訪れた私たちに元気よく挨拶してくれる

おわりに

インタビューしてみてわかったことだが、高校プロコンチームのメンバーも先生方も、決して「二連覇している、三連覇している」などという余裕などは微塵もなかった。三連覇がかかった大一番、決勝戦で採用したプログラムは、一年生の齋地崇大さんが一から作り上げたものだった。先輩から受け継いだすぐれたプログラムがあれば毎年簡単に優勝できるほど「CHaser」は甘くない。齋地さんは競技の把握から調査、対策を決め、その後、部全体ではプログラミング、バグ修正、そして予選通過後は2000試合以上の模擬戦が行われたことはすでに紹介した。その現場を見れば「体育会系文化部」という異名通りの活動だということがわかるだろう。さらに、高校プロコンチームのメンバーだけでなく、情報研究部はU-20プロコンやロボット系のコンテストなど、様々なITコンテストに挑戦しており、積極的で大きな成果を残している。

宮城県工業の校舎入口には情報系だけでなく、技能五輪などの様々なコンテストでの成果が貼り出されている
宮城県工業の校舎入口には情報系だけでなく、技能五輪などの様々なコンテストでの成果が貼り出されている

こうした点については先輩たちが挑戦してきた姿を踏襲しており、それが伝統になりつつある。「3年生やOBは引退後もよく顔を出しますし、アドバイスもしてくれます。3年生から1年生までの縦の繋がりが大変強いのです。この縦の繋がりは彼らにとっても一生の宝ものになるでしょうね」と加藤先生は話す。このように2006年に休部状態だった部(当時計算部)を立て直し、素晴らしい成果を上げつつある宮城県工業の情報研究部。ここまでの道のりについて平子先生は「決して楽ではなかった」と振り返るものの、情報研究部で学ぶ生徒たちは平子先生の言葉通り、震災を理由にしないで、取り戻せない時間は、自分たちの知力で補って、三連覇を果たしたのだ。その知力と三連覇にかける努力は、復興を目指す東北の光であると共に、情報技術教育の1つのあるべき姿と言えるだろう。

  

本文:秋葉けんた、加藤純一

構成・写真・解説:ITジュニア育成交流協会事務局